小学校や中学校など、知識の吸収の他に同年代の児童が一緒に行動することは、そこに集団生活による秩序を学んだり、友情を育むことで豊かな人格を育てる上でも有意義なことです。
しかし、中学になってそれぞれがある程度人格を持つのにいつまでも大人の都合だけで子供達を教育することは問題があるように感じます。

昔なら既に元服として、大人の仲間入りをするこの年代からは、いつまでも同じ教室で、同じ進行速度で教育をすることは難しいものです。
まして、社会に出て働くための資格をとる段階では、本当に必要な専門知識をより深めることが大切で、資格を取得する条件として、文部科学省の認定する大学の卒業を義務付ける意味はどこにあるのだろうと疑問に思うことがあります。

以前、STAP細胞の発見において小保方晴子さんの研究成果が世界中を驚かせた。
しかし、この研究もハーバード大学の支援により研究がなされ、近年はノーベル化学賞の候補者に日本人の名前が指定席となっているのですが、いずれも日本の大学から発表された研究が評価されていないのは情けないように思います。
特に、小保方晴子さんの様に女性でまだ30と言う若さでは、日本の研究機関で評価されることはとても難しいこととされています。
この研究も世界から認められるまでは、今までの科学の常識から、「科学を冒涜する発表だ」などと、批判の声を多く浴びたとの声明がありましたが、特に日本のように常識や肩書きばかりにとらわれているようでは、この様な偉大な研究は成立しないだろうと感じます。